十五祭に寄せて
きっと、あのときの彼らには「6人でやる」の一択しかなかった。私たち以上に複雑な気持ちを抱えて、ゆっくりグループの形を考える間も無く、とにかく目の前にあるものをやるしかなかったんじゃないか。それは考えては止まってしまうってだけだったかもしれないし、ある種の反抗や強がりだったかもしれない。でも、多分あのとき、メンバーにも私たちにも、想いを分かり合える人といっしょに、泣いたり笑ったりする場所が必要だった。笑え!って手をひっぱって、ここにいるでしょうが!って笑いとばしてくれる人が必要だった。
だからこそいま思う。もう何も約束しなくていいから、6人が自分たちの足で立てることはよくわかったから、思うようにしてほしい。本当はあのとき終わってしまったかもしれないものを、あんなに無理してくれたこと、あのときはああするしかなかったんだから、それが結果として続かなくても、わたしはそれを裏切りだなんて思わないよ。もう、十分。ありがとう。
2019年の夏が始まる。総決算の夏になるかもしれない。